「勉強にならないからレートを上げる」という言説に対する個人的所感

コラム

 

タカハシタカシですわ!毎日新たな発見があってポォ楽しいですわ!!(なお、苦渋50%配合)
さて先日、TLを眺めていたところタイトルのような表明()を目にしました。

「勉強にならないからレートを上げる」
誰のツイートだったのかすら覚えてないのですが、多少思うところがあったので思索を書き綴ります。

本当に本気で素直に「勉強にならないからレートを上げる」と考えて何某はツイートしたのか?

僕は違うと思います。


レートを上げたところで勉強にならない事は薄々解った上で言っている。そう、もっと他の、、本心を隠すための建前で屁理屈を捏ねている。
何を隠そう僕にしても似たような事を考えたことがありまして、、。その意味では先のツイートの本心が自分の事のように分かる、そのつもりでいます。

ここからは妄想と、ある種の自分語りとなります。厳密な考証も裏付けも答え合わせもありません。
特定の個人、団体、信条その他どういった他者に対する思惑も無いので悪しからず。
ただ、「勉強にならないからレートを上げる」この言葉を深読みし、この不可解な言葉の裏に潜むロジックと目的――あるいは願い・祈りについて探ってみたいと思います。

(皆さん厳粛に・・)

言説A 憧れの発露

「勉強にならないからレートを上げる」

この文から読み取れる意志を連想していきます。

「ポーカーの勉強をしたい(上手くなりたい)」「現レート・環境では上手くなれない」「自身が上達しない理由は現レートに問題がある」「現レートは参考にならない・参考にしたくない」「上のレートならば自身が上達出来る、出来る環境であると考えている」「上のレートでのゲームを参考にしたい」「上のレートでのゲームを身につけたい」「上のレートのプレイヤーのようになりたい」

(以上早口)

なるほどね?

要は、上のレートで戦っているプレイヤーのようにプレーしたい。

こうした素朴な願いの発露による、「勉強にならないからレートを上げる」。

この時、かの人にとっての先の文「上手くなりたい」とは即ち、憧れの対象たる上のレートのプレイヤーとの同質化であり、レートを上げるという行為は目標たるプレイヤーとの同質化という目標達成へのアプローチと読み替える事ができます。(ここでの憧れの対象は特定のプレイヤーでも空想上のプレイヤー像やレートの平均値といった数値でも構わない)

また、自身の力量が目標となるプレイヤーのレベルに達しておらず、上のレートに勝ち越すことはまずできないだろうと納得・理解しており、「勉強」というワードについてはある種の慎ましさや自傷的侮蔑(自嘲)、個人的コンプレック等の表れであるとも想定できるでしょう。

細かなレトリックを文中からの絞り込む事は不可能ですが、憧憬と挫折、葛藤、挑戦といったメジャーな文脈に沿った「憧れの対象との同質化」の解釈は「勉強にならないからレートを上げる」に肉付けを施し、充分に納得することのできる理屈とする事はできました。
(ウマ娘でいうとシンボリルドルフとトウカイテイオーの関係的な?ん??違うか????)

 

ウマ娘

版元ドットコムから待ってきたから著作権OK

 

 

言説B 最強種の苦悩(そして愉悦)

「勉強」という普遍的で如何様にも状況設定が可能な行為?状況?では様々な物語性を付加することが叶う。その上で今回紹介するストーリーは特に恣意的だ。

あえて端的に伝えるのならば……「なろう系」だろうか?
レベル
999999999の主人公君が格下のイキリに対して「はい!勉強させてもらいます!(勉強にならね〜〜)」なアレである。勉強(世辞・定型文)みたいなやつ。

現実のポーカーで例えるなら、、。

 

最強ヘッズアッププレイヤー ダグポーク
「勉強にならないからレートを上げる」

最強系ポーカープレイヤーLLinusLLove
「勉強にならないからレートを上げる」

現在レベル測定不能、GTO星のお姫さまことリリアン氏
「勉強にならないからレートを上げる」

 

説得感がえぐい。

これに当てはまる場合は速やかにレートを上げてください。
周囲のプレイヤーが被災してしまいます。

 

言説C ラストリゾート(仮)

「勉強にならないからレートを上げる」

なぜ勉強にならないのか?

周りのレベルが低すぎ?
言説
Bは正にそれでした。なろう主人公或いは亀ぽいガメラ、ふざけたレベル差が生んだ悲しい事件。

そんな言説Bは滅多なことでは成立せず、多くの場合で「勉強にならない」理由はプレイヤー本人側の至らなさ・落ち度にこそあります。
ミスをミスと認識できない。より期待値の高い分岐を認識できない。何が分からないのか、そこからして分からない。そんな事がポーカーでは往々にして起こります。というか、ほぼ全てのスポットで成立しています。本人が気づかないだけ。

何が悪いのかも分からないが勝てない・調子が悪い。こんな時、原因究明のために様々な理由を検討しますが時偶、以下のような結論に至ります。

「相手が悪い」

はい。相手がアホすぎてクソゲーを押し付けられた。つまらない。面白くない。AA25oに負けた!!!(昨日の僕)

まぁ瞬間的かつ一側面として「相手が悪い」は充分成立しますし、これを食らうと癪にさわります。相手が無茶苦茶すぎては「勉強」(或いはサンプリング)にもなりません。

自身を省みても仕方のないスポットは割と普通にありますよね。
そんな時はひとしきり文句を言うなりしてさっさと切り替えるべきでしょう。
(面と向かって文句を言ったら揉めるぞ!推奨もしてないぞ!!)

 

「勉強にならない(できない)」

「相手が悪い」

この二つは容易に結びつきます。どちらも局所的に正しく、特定の状況下で同時並行的に成立する理屈でもあり極めて親和性が高い表現であるといえるでしょう。

この二つが結びついた時、究極の責任回避定例文句が成立することは最早語るまでもありませんね。(語る)

あえて名付けましょう。これが言説Cの真名となります。

「勉強にならない」「相手が悪い」この二つが交わり融合した悪魔のワード。

その名は。

「僕は悪くない」

熊川禊

(聞き覚えあるなー)

効用としてはストレスの緩和、、とでも言えばいいのでしょうか?

メンタルゲームとも謂われるポーカーに於いては存外悪くない効果です。まぁ呪いの装備なのですが。

この「僕は悪くない」、あらゆるスポットでの下振れ・不条理に流用可能である点がポイント高いです。ついでに自身のミスからの損失ポイントにも無頓着になります。これにより、自身の下手くそさを誤魔化し、ある種の自尊心を守ることが可能です。

多くの場合、特定のゲームを上達するという事とは学習を通じて自身の腕前を向上させることと同義です。過程としての手法は多岐に渡りますが概ね学習を通じて上達するという流れについては反駁が生じる事は無いでしょう。

「僕は悪くない」は学習を行うに至るためのルートを悉く捻り潰してくれます。

だって「勉強にならない」し、「相手が悪い」のだもの。勉強も学習も成立しない事は自明※でしょ?

学ばず、ミスを認めなければメンタルも自尊心も守られる。割と心地よい筈です。

日々飽くなき探究心を奮うプレイヤーについては例外。相手が悪かろうがbotだろうが自己改善は可能である。

いい加減本題に戻りましょう。

「勉強にならないからレートを上げる」

これが悪魔のワード「僕は悪くない」から生じたものだと仮定します。

何故レートを上げるのでしょう?

何故勉強したいのでしょう?

十中八九、勝ててないからだと思われます。

だって勝ててたら単に「レートを上げる」でええし。わざわざ言い訳の如く「勉強にならない」なんて付け加えない。(ガメラは除く)

負けを取り返すためによりレバレッジを効かせたリスク管理に走る。レートを上げるという話もよくあるものです。

勝ててないガメラはただの亀です。なんなら自身をガメラと思い込んでいる亀(敗北中)です。

レートを上げれば勝てる、或いは学びがあるのでしょうか?

無理でしょう。だって「僕は悪くない」のだから。レートを上げれば一般論として難易度が上がり、複雑なゲームが交わされます。現レートでも不十分かつ学びを拒否した姿勢では勝てる理屈はありませんよね?

あ?上振れ?黙っとれ

ともかく、、。

「僕は悪くない」だからレートを上げて新天地でやり直す。よくある話です。

負けを上のレートで取り返そうとする話も似たような分類が可能でしょう。

ーー新天地が死地にならなければいいのですが。自尊心が首を絞める。ほんとよくある話です。

言説D ゲーマー的探索嗜好

これで最後。

「勉強にならないからレートを上げる」

ゲームに勝つためでは無く、あくまで勉強のためだけに限れば想定できるスキームがあります。それはパターンの「蒐集」です。

低レート帯は高レート帯と比較して単純なゲームになりがちです。プレイヤープールが広すぎてメタが成立しづらいだとか、有力なワザを振るだけで成績が出る、レート全体でのゲームへの理解度が初級者〜中級者で固まっており、より高度なアクションが日の目を見ない。色々ありますね。

ポーカーで例えるならば、ブラフ4betの有無みたいな話です。低レート帯でブラフ4betを打つ事もそれへの対策も不要、機会がない。故に退屈。

刃牙の最強親子編でも似たような話ありましたよね。

(遊んでもらえ・・・

存分に遊んでもらえバキ・・・

こんなに遊んでくれる親父・・・

他にゃいねェんだぞ!!)



遊び相手がいないと寂しい。それほど上手くはないけどより複雑なゲームを楽しみたい、それを学びたい。ゲームを楽しみとしてプレーするのならばけっこう切実です。

新たなパターンの蒐集、マンネリ打破。
勝敗を度外視するならば「勉強にならないからレートを上げる」にこれらの理由は十分な論拠足り得ます。

また、愉しみの他にも切実なニーズがあります。
ポーカーに限りませんが、特定の戦略へ学びを深め習熟するにはある種の訓練が必要となりますよね?実際にその戦略を運用して初めて気づく物事も多いでしょう。
(ef.軍事演習)

こうした戦略習熟の理屈に沿うならば「勉強にならないからレートを上げる」はまたも過不足なく成り立ちます。正に真、trueです。

あー。

本文の初めの方に書いた意地悪な言い方云々についても取り消します。レートを上げねば成立しない勉強も存在する、これを認め関係者各位に陳謝致します。すまん。過言やったわ。

明確に学習目標となる戦略が無くとも、上級者から学べる事は様々あるでしょう。経験者からの薫陶は上達の時間短縮に非常に役立つ事もまた事実です。BR等の問題をクリアし、上級者の行動を分析できるだけの下地か能力が有れば充分「勉強にならないからレートを上げる」は成り立つ話です。

上達の道筋は無数にある筈です。
柔軟に、猛然と上手くなれるのならばそれに越したことはないのでしょう。


まあ?問題としては現レートでは分析に足る状況がもはや無いと断じている点でしょうか?

cbひとつとってもベストを追求するには多大な苦労があって然るべきです。葛飾北斎の晩年じみた物言い※をする気はありませんが、増長がないか、今一度自身の裡に問うてみるべきでしょう。

北斎は既に名声を確立していた85歳の時、「猫一匹まともに画けない」と娘の前で涙を流したというエピソードがある。

 

ひとまず思いついた言説の発表については以上となります。

まとめ

言説A 憧れの発露
言説B 最強種の苦悩(そして愉悦)
言説C ラストリゾート改め『僕は悪くない』
言説D ゲーマー的探索嗜好

いかがでしょうか。「勉強にならないからレートを上げる」という短い文章をこねくり回した結果、四つの理屈を組み上げてみました。

皆、口に出さずとも考えたことぐらいはある程度には普遍的な題名に纏められたと思います。

建設的にこの話題を締めるのならば、こんな感じか。
湧きあがった不可解な言動の裏には何かしらの理屈がある。真に望んでいる物事を認識するためには自身の在りようや目的を客観的に評価する必要がある。不可解な言動には言説Cのように本来の目的達成(この場合は上達)を歪めてしまうものも含まれているため、常に自身の目標と言動・行動とが矛盾なく連動しているよう気を払うべきだろう。

まあ、「何やってんだ俺」みたいな状況に陥ることもしばしばあるポーカー、もといメンタルゲームでは蘊蓄のあるお話になった気はする。

 

以上で今回の「勉強にならないからレートを上げる」論を終わりにしたい。

あとがき的な本音

ぶっちゃけ収集がつかなくなったから無理やりまとめた。中々寒々しい文体なのはそのせい。

今回のあれこれは思考実験であり、特定の文からその背後関係を推測するというものであり、ペルソナ分析的な妄想を分類し言語化したものとなります。

「勉強にならないからレートを上げる」という文からは様々な情景を思い起こしてくれるステキな感覚を覚えた、だから深掘りしてみたそれだけです。

 

――てか、欺瞞だろ。何が「勉強にならないからレートを上げる」だ。

それこそマトモにCBひとつ打てない。ソルバーを回したことも無い。過去どのレートでも勝ち越したこともない、そんな輩に限って文句を垂れる。

『僕は悪くない』

そうだね。おつかれ。で、どう悪くないの?下振れた?ふーん。何BB?あー、そう確かにだいぶアンラッキーね。――――ところで検討した?

はあ。これ、誰に対する文句かっていうと自分なのよ。

プロモの為に10zを4面で回した時期があって、まー成績は宜しくなかった。膨大に溜まっていく履歴の解析はそっちのけでひと月で8万ハンド程度打って泣けてきた。

ほんと何のために打ってるのやらって。
そりゃ勝ててればそれで良かったけど。あほかってくらい回してレーキ払って時間使って、残ったのがゴミ(データ・履歴)の山。

あー10z?クラッシュしたよ?なーんてしれっと言いたかった。

あーーーーあ。はあーーーーーーーーー……。また基礎から見直すか……。

(中略)

――何度でも何時からでも挑戦はできます。

「レートを上げる」べきか、これについては衝動的・情動的に進めるべきではありません。

なんなら海外旅行に行くくらいの気構えでいいくらい。(え?コロナ前ならよく行ってた?ならまあ、2zも10zも50zも誤差か)

特に「僕は悪くない」については非常によくある症例です。これに陥ると上達や工夫、改善の循環が滞ります。楽しみとしてのゲームとしても競技としてのそれにしても非常宜しくありません。個人的にも気をつけたい所です。

最後に。ゲームは楽しんでなんぼです。プロになりたい、生活の軸にしたいのならば知りませんが他人の成績や勝利、リワードについてはあまり気にしないべきでしょう。精々知り合いや友人の幸運を祝福すれば良い程度です。(信用詐欺も多いしネ)

レートにせよアプリにせよ今の貴方が最大に楽しめる場所を探しましょう。たぶんそれが最高のゲーム体験です。

今日のところは少し疲れました。

直近では毎日21時頃から2zを1000ハンドまで実況解説しています。動画を見返すことで検討が色々はかどっています。実質自分の為の動画となっていますが、一応解説の体にはなっていると思うので応援よろしくお願いします。(そこはかとなく『不可解な文章』で締めてみる)

 

ps.眠い疲れたゴジラになりてー

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